特定非営利活動法人  藤枝ももはなの会

  35編の作文の中から中学生の作文の一部を紹介いたします。

★1.「障害のある世の中」  浜松市・中学三年生 梅田祐矢さんの作文

僕の姉は、ある特別な人です。しかし、普通の人間です。どんなことが特別なのかというと、姉にとって僕が兄であり、僕にとっては姉が、やっぱり姉であり、しかし、妹でもあるということです。

 僕の姉が、姉でもあり妹でもあるという理由は、姉は同じ人としては変わりはないのですが、普通の人よりも少し行動が遅れてしまうことです。しかも、母親と父親はとても優しく接していることです。そして、一番大きな疑問点だったのは、小学校の時に、自分の学年のクラスから外れた教室に入っていくことがいつも不思議でなりませんでした。

 

 ある時、母親に思いきってそのことを聞いてみました。すると、妹ではない姉は、「ダウン症候群」という障害にかかっていることが分かりました。

 姉は生まれた時に、心臓と肺を結んでいる気管が一本多く、みんなより少し心臓が大きかったそうです。手術のおかげで大丈夫にはなったのですが、その障害は大きく、同じ歳の人や少し歳下の人ができることでも、時間をかけてゆっくりやる、もしくは、できない、やらない、といった障害です。例えば、そこのバス停まで行くとします。しかし、姉は初めのうちは、僕や母親がついて行かなければ遅れてしまうことがありました。こんな当たり前のことが、人の手を借りないとできないのです。

 

 ダウン症のことを言ってきましたが、もっと範囲を広くすると、障害者という言葉にたどりつきます。障害者にもいろいろあります。例えば足が生まれつき悪かったり、手術で手が無かったりといろいろな人がいます。姉もその中の身体障害者です。その中でも重度と軽度でつくAとBとがあるのですが、姉は重度のAということになっています。僕は姉がこんなにも重い障害にかかっているなんて、本当に考えてもいませんでした。なので、このことを反省し、これからはしっかりと姉を助けていきたいと思います。

 

 さて、世の中にはいろいろな差別があります。例を挙げると「えた」「非人」の差別や男女差別などもあります。そして、障害者の差別もその中の一つです。障害者になるとやれる仕事でも会社に拒否されて、選べる仕事の範囲が少なくなります。僕は、なぜこんなことになるのか分かりません。みんな平等だから、いろいろな仕事をやることにすれば、差別がなくなってくるのではないかと思います。そのためには、障害者の人達が働くことができる環境を作らなければなりません。例えば、障害者ということを理由にして、本人の許しもなく給料を減らしたりすることや、きつく、とても厳しく教えたりしなければ、障害のある人達だってきっと安心して仕事ができるのではないかと思います。

 

 それともう一つは、いじめをやめさせることです。いじめは最低の行為です。障害者という弱い立場の人たちをいじめる人は最も心の弱い人だ、と僕は考えています。なので、平等という言葉を打ち消してしまう「いじめ」という言葉をなくし、障害のある人達や僕の姉も安心して暮らすことができる世の中にしてほしいです。そうしなければ、この世の中そのものが、障害を持った世の中になってしまうからです。

 

 僕の夢は、福祉関係の仕事に就くことです。姉のような障害を持っている人たちや、高齢者の人たちなどを助ける仕事に就きたいです。そして、福祉のリーダーに立つことが、僕の最終目的地です。

そのためにこれから、一つ一つのことを、ていねいに行動して行きたいです。その理由は、ていねいに行動しないと人を助けることを、いいかげんに行ってしまうのではないかと思うからです。

 もし、僕が最終目的地にたどり着くことができたら、もう、障害のある世の中ではなくなっていると信じたいです。

 


★2.「私の弟」 浜松市 中学三年生 瀬戸万里子さんの作文

 私には、脳性麻痺という生まれつきの障がいを持つ弟がいます。弟は小学六年生で、静岡県立西部特別支援学校に通っています。とても元気のいい子です。

 弟は、平成九年四月十六日、私が三歳のときに生まれました。弟が生まれるとき、私の母は長く入院していました。母の入院中、祖母と毎日バスで病院に通い、赤ちゃんがうまれるのをとても楽しみにしていました。その時すでに、弟に病気があることが分かっていたそうです。弟の症状は重く、生きて生まれてこれないかもしれないとまで、言われていたそうです。でもなんとか生まれることができ、その後の手術の結果、その病気は完治しました。しかし、その病気の後遺症が残り、脳性麻痺という障がいを背負い生きて行くことになりました。 

 

 私が弟と直接会えたのは、出産から二か月後の退院の日でした。私は、弟が家に帰ってきたことがとても嬉しくて、はしゃいでいたことを覚えています。それからも、弟をとても可愛がりました。お世話もたくさんしました。

 そんな弟を周りの人は、どう思っているんだろうと思うときがあります。弟と一緒に、お店を歩いているとき、ときどき弟を不思議そうに、じろじろ見ている人がいます。私は平気です。でもそういう人は、弟のことをどう思って見ているんだろうと考えてしまいます。弟を見て不思議に思う気持ちは分からなくもありません。だから、私は平気です。不思議に思う人たちには、それで興味を持ってもらい、障がいのことや弟について分かってもらいたいです。そして、障がいをその人の一つの特徴として、自然に受け入れられるようになってほしいと思っています。

 

 でも、たった一つだけ、弟が障がいがあることで残念に思うことがあります。それは、姉弟ゲンカができないことです。友達の姉弟ゲンカの話を聞いても、姉弟とケンカをするという気持ちが分からず、私も弟とケンカしてみたいと思い、うらやましくなります。せっかくの姉弟だからケンカもしたいし、一緒に運動をしたり、学校での出来事を話したりしたい、そんな姉弟関係に憧れてしまいます。

 私には弟の他に三歳の妹がいます。妹はまだ弟の障がいのことを理解していません。妹がこれから大きくなったとき、私と同じようなことを考えたら、どう思うのかと思います。 

 

 私にとって弟は”弟”だけど、妹にとっては、弟は”兄”なのです。その違いで、感じ方は変わると思います。妹は混乱してしまう可能性もあります。そのとき私はどのようなことを言ってあげられるでしょうか。難しいかもしれませんが、妹にも弟のことを自然に受けとめてほしいです。そのために、妹をサポートしていきたいです。

 

 弟が障がい児だからこそ、知ったことや経験したことがたくさんあります。福祉にも興味を持てたし、たくさんの障がい児とふれ合うことができました。どんなに重い障がいを持っていても、

みんな一生懸命生きている、命の大切さも知りました。全て弟がいたからできたことです。

弟に感謝したいです。私は、弟が大好きです。

 


★3.「兄弟姉妹だからこそ」 菊川市 中学三年生 福田香奈美さんの作文

 私の弟は、自閉症という障害を持っています。自閉症は生まれつきの障害です。見たり聞いたりすることや感じたりすることが難しいのです。そのため、人と関わったりすることや自分の気持ちを伝えたりすることがとても苦手です。

 

 弟が小学校低学年の頃、いきなり怒り出して私達を叩いたり、出かけているときに、道路に寝転んで泣き叫んだりして、なかなか言う事を聞かなかったりしました。また、言葉も赤ちゃん言葉のようなことしか言えず、私が話したことを理解してくれているのか、弟が何を言いたいのかも理解できませんでした。その頃の私は、まだ自閉症についてよく理解していなかったこともあり、もうそんなことはしないでほしい、できるだけ他人のふりをしていたい、なんで弟は障害を持っているんだろうという思いがありました。

 

 しかし、弟の障害を少しでも軽くしてあげたい、という思いが次第に大きくなって行きました。

でも、自分では具体的にどうすればよいのか分かりませんでした。なので、弟の通う特別支援学校の行事や障害児の将来のことを考えて、親子で活動している「障害児の就労を考える会・どりぃむ」に出来るだけ参加することにしました。

 

 「障害児の就労を考える会・どりぃむ」の活動は、主に長期休暇のときにミシンやアイロンなどを使った作業をしたり、畑で野菜作りなどをしています。みんなと一緒にこのような作業をしても、

初めはどのように接したらよいか分かりませんでした。でも何度も参加していくうちに、一人ひとりの苦手な部分が見えてきました。そして、親の対応などを見ていくと、どのように接したらいいのかなど勉強になりました。

 

 私だけでなく、他の兄弟姉妹も参加していました。休憩の時などに話をして仲良くなりました。弟達のことや学校でのこと、好きな漫画のことなどを話していると、あることに気がつきました。相手も私と同じように、障害のある子と一緒にいたくないという思いや不安、悩みを持っているということです。

 

 私はいつの間にかその子達に相談するようになりました。相談すると気がとても楽になり、うれしかったです。そのうちに私は、弟と一緒にいることをはずかしく思わなくなりました。弟もまた成長して、いろんなことが出来るようになったので、とてもうれしいし、一緒にいて楽しいです。

 

 私だけでなく、兄弟姉妹に障害を持った子がいるという人はたくさんいます。その中の多くの人が前の私のように、一緒にいたくないと思っているのではないでしょうか。  

 でも、私のように、同じ立場にいる人と話をすることで思いが変わっていくと思います。

思いが変われば、障害を持った子にも優しくなれて、その子達も成長していくと思います。また、自分の身近にいる人達にも障害のことを知ってもらえると思います。

 

 なので私は、兄弟姉妹どうしが何度も話し合える場がたくさんできてほしいなと思います。そうすれば思いが変わったり、気が楽になれると思います。また、自分達だけではなく、周りにいる人達にも障害について理解してもらってバリアフリーな社会をつくっていきたいと思います。 

 


★4.「初めての夏休み」 浜松市 中学一年生 宮崎文香さんの作文

今年の夏休み。それは、私にとって初めてづくしの日々であった。

今年、中学一年生となった私。兄は中学三年。普通の中学校に通う私は、中学校での初めての生活で色々な面で変化が起き始めていた。

もちろん、生活面でも。

 

私の兄の説明をしよう。私の兄は、私と同じ学校に通っていない。兄は、自閉症という障害をかかえていて、特別支援学校に通っている。障害にも色々なケースがあり、人それぞれ違う。4兄はよくしゃべるし、時にはうるさいくらい、よく食べるし・・・。と、ここまでならまだいいのだが、自分が満足いかないと暴力をふるうという欠点があり、母、父は毎日、兄の様子を見ながら暮らしている。

 

私は、その様子を見ていると、時として非常に悲しくなる。もし兄が障害者でなく、普通の兄だったらどんな生活をおくっていtのだろう・・・と思うこともある。でも、やはり兄は兄なのだからと、自分に言い聞かせて母と父と協力して暮らしている。

 毎年、夏休みは旅行に行くことになっている私の家では、今年、その旅行をどうしようか迷っていた。というのは、どこに行くか行かないか、という内容であった。私は旅行が好きだ。やはり、遠くまで行って遊んだりするのはとても楽しい。でも、ほぼ毎回、兄が怒り私に暴力をふるう。だけど、旅行は好きだ。

 

だが、父は違った。私に暴力をふるう兄を止めるのはいつも父。そして最近は、旅行時に、父が兄に暴力をふるわれているのだ。

毎日仕事をし、夜は兄の相手をし、旅行の時は・・・。父は疲れていた。そして、ある日、父に聞かれた。「文香は旅行、行きたいか?

」「うん、行きたいよ」答えはすぐに出た。少し疲れ気味な顔で「そうか」と答え、テレビを見ていた。

 そして、話し合いの結果は・・・。「兄を施設に預け、父、母、私で旅行に行く」という案でまとまった。兄には、今旅館は工事中だから、今年は旅行なし、と言い聞かせた。

 

 その旅行まであと一週間。私は考えていt。一番旅行を楽しみにしていた兄が行けない。それって、かわいそう?でも家族をあれだけ

悩ませているんだから、仕方がないのではないか、と。親たちには言わなかった。理由は分からないが、自分の心のどこかで言わない方が良いと思っていたからだと思う。あれこれ思案ををめぐらせているうちに、旅行当日、部活は休んだ。「行ってきまーす」ほぼ毎日施設に行っている兄のその日の声は、泊りに行くという緊張からか、少しこわばっていた、そして、施設へ兄を送り、母が帰ってきた

いよいよ出発である。宮崎家の旅行は、車で移動する。高速道路を利用する。車内での会話は、これからの行き先と兄がいたら・・・という内容が主だ。

 

「祐介(兄)がいたら、高速安くなるんだよなあ」「お兄ちゃん、今頃なにしてるの、お母さん。」父も母も、兄が心配のようだ。私もそうだった。そして、ふと父の口から出た言葉。「いたら居たでうるさいけど・・・居ないと静かすぎて心配・・・。世話のやける殿だな」その通り、と思った。

 そんな感じで普通の家族のような旅行は終わった。遊園地に行って、旅館に泊まって・・・。これが、兄のいない初めての旅行となった。

 

それを経ての私の感想。

すなおに、今回の旅行は楽しかった。障害者がいない家庭の旅行は、こんな感じなのかと思った。でも、それは表だけ。たとえその場にいなくても家族は家族、いないとよけいに気になってしまう。家族とは、そんなものなんだと思った。

 そして、私は兄の事を誇りに思う。理由は、私の大切なたった一人のあにだから。障害をせおっていて、すごく親に心配をかけていても、私の兄。同じ家に住んでいて、一緒に笑ってケンカもする。

 この、兄がいる普通でない家族は、私にとっては普通の家族だ。時には兄が障害者ではなかったら、と考えることもある。でも、私はこの家に生まれて良かったと思う。普通の人には体験できない色々な事をし、学んだから。そして、悩んでいる私に協力してくれる人たちがいるから。私が兄の妹であるから。こんなに貴重な体験をすることができるのだから、日々感謝して生きて行こうと思う

ここまで導いてくれた、様々な人達に。


★5.「障害ってなんだろう?」 富山県新川郡 中学二年生 藤縄凌太さんの作文

 僕の兄の目は見えません。でも、ピアノがとてもうまいんです。僕はそんな兄を自慢におもいます。しかし、いつも一緒にいて僕は感じるのですが、周りに何があるのか全く分からない生活は怖くてしょうがありません。何も見えない中で生きていくのに恐怖はないのかと思うのですが、そんな中でも兄は感心するくらいにとても元気に生きています。  

 兄は目が見えないのは生まれつきです。生まれてすぐに、アメリカのボストンに手術に行きました。手術は成功し、全盲ではなく、片目だけはなんとか光だけ分かるようになりました。そして、家にあるピアノで遊んでいるうちにピアノに興味を持ち、そこから兄のピアノの人生が始まりました。

 

 兄は字が見えないし楽譜も読むことができないので、一生懸命に弾きたい音楽を聴いて覚え、それをメロディーにして弾いています。普通の人よりも一曲覚えるのはとても早いのですが、弾きこなすまでには人の何倍もの時間が必要です。練習に練習を重ねて弾けるようになった兄の顔はとても輝いていました。そしていろんなコンクールに参加して賞を取ったこともあります。

 小学校の頃、僕の学校に兄が交流をしに来ました。その頃の兄には同級生がいなかったので、お互いを理解するために、一緒に音楽を楽しんでいました。僕の友達もさりげなく「ピアノうまいね」と言ってくれたのが、とてもうれしかったです。

 

 そんな兄ですが、僕にも不満だってあります。同じ家にいるのにカード・ゲームを一緒にすることができない。だから友達の家にいったりするし、兄の行きたい場所ばかり優先して、自分の行きたいところへ連れていってもらえない、自分から言い出せないさみしい時がありました。

 

 でもピアノのコンクールで毎年のように東京に一緒に行ける機会ができ、いろんな所へ連れて行ってもらいました。去年は「東京へ行かないよ」と言われていたので「なんでエー」と文句を言っていたところ、十一月末の二次予選で優勝して、三月に東京で決勝大会へ出場することになり、僕は思わず「よっしゃ!やったあ!、また東京に行ける!」と叫びました。両親は費用の事もあるしなんだか複雑そうでしたが、とてもうれしそうでした。来年もまた行ける機会ができるといいな、と楽しみにしていました。

 

僕は、兄と暮らして思ったことは「素直に生きる」です。よくテレビで障害者のVTRが流れて、それを見た感想で「かわいそう」と言っている人がいました。僕はそれを聞いて「おかしいな」と思います。どんな障害をを持って生まれてきても、その障害を乗り越えようと一生懸命生きている、まったく同じ人間なのに障害者に対して「かわいそう」と言うのは同情ではなく、むしろ障害者をさげすんでいるように僕には聞こえます。兄のように障害を乗り越えようと頑張っている人は普通の人より数倍輝いています。兄とはスキーに行ったり、海に行ったり、プールにも行きます。ほかの人と全く変わらないように遊んでいる兄を見ていると、障害者も普通の人みんな同じではないかと思います。 

 僕は、そんな兄を誇りに思います。だから、これからもずっと兄を支え、たまには不満を言う時もあると思いまが、兄とともに生きていきたいです。

 


★6.「ノーマライゼーションを願って」 浜松市 中学一年生 富永悠花さんの作文

 七年前、姉が中学二年生の時、同じ題名で弁論大会の舞台に立ちました。私には十歳になる障害を持った妹がいます。「ノーマライゼーション」とは、障害者や高齢者などを問わず、全ての人が社会の中で同じように生活し活動することが、本来あるべき社会の姿であるという考え方、と姉に教えてもらいました。

 

 私は五人兄弟で、私は真ん中の三番目です。私が物心付いたころには、二歳年下の妹とその一つ下にも弟もいました。母はいつも大変だったに違いありません。でも、私の記憶にはいつも楽しそうに笑っている母の姿しかありません。だけど、私より八歳年上の姉の記憶には、かくしきれなかった母の悲しい顔や苦労が、忘れられない母の姿として残っています。だから、そのことは私にとって特別なことではありません。ただ時々、妹もみんな同じように歩くことができたならと、思ってしまうことがあります。そして、それは、、妹自身が一番思うことだと思います。それでも妹は、母似でいつも楽しそうで笑顔が絶えません。

 

 最近も一泊二日の宿泊訓練を何日も前から本当に楽しみにして、前日には眠れないくらいの大興奮でした。今は。もうすぐある「青藍祭」に向けてとてもはりきっています。妹は学校が大好きです。先生や友達、苦手なはずの勉強もどういう訳か大好きです。

 その妹がとても楽しみにしていることがあります。居住地校交流と言って、自分の住む地域の小学校での、年に数回の交流学習です。大勢の友達と一緒に勉強したり、遊んだり、給食を食べたりして、楽しかったことを家に帰って嬉しそうに話してくれます。私も昼休み、楽しそうな笑顔で友達に車いすをおしてもらいながらおしゃべりしている妹を、何度も見かけたことがあります。

 

学校には階段があって、先生方にたいへんお世話をかけてしまっています。それでも、校長先生をはじめ、先生方や友達みんあがあたたかく妹をむかえてくれます。きっとそれは妹や両親にとって、居住地校交流で何よりうれしいことなのだと思います。

 姉も両親も、妹の障害の事は前向きいに受け止め、日々の生活を送っています。

 

でも遠くはなれた石川県に住む祖母にとっては、少しちがうようなのです。今年の夏休み、家族で遊びに行った時、私たち姉妹を見て「大きく大きくなったね」と嬉しそうに言いました。そして妹には、「大きくなったね、がんばってるね」と涙ながらに言いました。妹はそんな祖母に「頑張っているのはママだよ。大きくなって大変なんだよ、重くなったから」と答えると、母に「あんたも本当に大変だね」と声をつまらせ言いました。母は笑ってごまかしましたが一瞬、何ともいえない表情を見せました。祖母は、妹と母を心配し、心から言ったのだと思います。

 みんなが障害について理解し、前向きに受け止め、悲しんだり、苦しんだりする人がいない社会になることを私は願います。

 

 


★7.「弟との12年」 浜松市 中学二年生 村松真優子さんの作文

私には、二歳離れた弟がいます。弟は、先天性の脳性マヒです。私は小さい頃、弟があまり好きではありませんでした。一緒に話すこともできない、遊ぶこともできないからです。しかし私は、大きくなるにつれ弟の病気を理解し、そして弟自体も理解しました。弟は何もできないのではない。ただ話すことが苦手で、歩くことが苦手なだけ。健常者より苦手なことが多いだけなんだ。そう思えるようになりました。

 

 弟と私は、学校が違います。私は近所の公立の学校、弟は少し遠い県立の特別支援学校に通っています。小学校の時、弟は私の学校に遊びに来ました。正直を言うと私は、他人に弟をみせるのがあまり好きではありませんでした。弟と普通に接してくれないのでは、と思ったがらです。しかし、学校のみんなは、弟を優しく、温かい気持ちで受け入れてくれました。そして、弟が学校に来ることを楽しみにしている子がたくさんいることを知りました。私はうれしく思い、それと同時に「どんな子でも接すれば理解して仲良くしてくれる」という事を学びました。

 

 それから数か月後、私の住んでいる地域で「ふれあい大会」がありました。もちろん弟も一緒に行きました。私はまだ、同級生に弟のことを言っていませんでした。同級生は弟を見ると「かわいい」と言ってくれました。なんだか心が温かくなりました。そして、ずっと一緒にいて車いすを押してくれました。いろいろな種目で成功すると、自分のことのように喜んでくれました。今でも「元気にしる?」とか「今何年生?」とみんな弟を気遣ってくれています。

 

 でも、うれしい事ばかりはありません。買い物に出かけたりすると、色々な人にジロジロ見られます。珍しいから見ると思うのですが、こちらは気分が良くありません。それに心が痛むし悲しくなります。そして、それに対しての私の考え方がどうもまとまらず、いつも悲しく思うだけなのです。全国の障がい者の家族は、少なからずそう思っているのではないのでしょうか。障がい者を偏見の目で見る人が多いのが、今の日本の現状ではないかと思います。珍しのは分かります。しかし、それをされると気分が悪いのです。

 だから、もっと健常者と障がい者が触れ合える機会を地域などが増やしてくれれば、障がい者の暮らしやすい社会環境になるのではないでしょうか?。

 

そんなことを弟と過ごしてきた十二年間で思いました。そして、成人したら地域から、触れ合う機会を増やして行きたいです。それを思わせてくれた弟は、私の宝物で、世界に唯一無二の最高の弟です。